日本画と、潜伏キリシタン

昨日、名都美術館の『色のいろいろ―日本画材の魅力にせまる―』展へ行ってきました。

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日本画は、主に岩絵の具というものが使われていて、油絵の具に比べて艶がないので、とても落ちついた印象です。

展示室で多くの絵に囲まれていても、しんと静かで、ひとつひとつの作品が主張しない奥ゆかしさ。
(静かなのは、人がほとんどおらずほぼ貸し切り状態だったせいもありますが。素晴らしい展示なのにもったいない。)

静かであるがゆえに、光の表現にはっとするような美しさがあったり、もう溜息がでるような。ずっと観ていたいような。
どの作品も、本当に繊細で緻密で、きっと雑念があってはこういうものは描けない気がします。
「今日のご飯なにかな」とか「昨日のあいつムカついたなー」とか考えていては無理な気がする…。
どんな境地で、どれだけの集中力で描いているのだろう。

観ているこちらも、雑念を捨てて静かな落ちついた心で向い合わないといけないような気にさせられます。
(幼稚な感想ですみません)

岩絵の具の元になる鉱石、藍銅鉱(群青)、孔雀石(緑青)も展示されていました。なんとも鮮やか。

(画像は下記サイトより)

岩絵の具について詳しく書かれたサイトが面白かったので、興味のある方はご参考まで↓
石から絵の具を作ってみよう!|おもしろ科学実験室

学生の頃、現役の日本画家の先生から、ほんの少しだけ日本画を教えていただく機会がありました。
粉状の岩絵の具を、道具を使うのではなく指で練るという工程と、その感触がなんとも心地よかったのを覚えています。


そして衝撃だったのは、同時開催されていた、『小山硬-潜伏キリシタンを描く-』

昨年、長崎の潜伏キリシタン関連遺産が、世界文化遺産に登録されたというのはニュースで知ってはいましたが、「日本二十六聖人」について、あまり詳しくは知りませんでした。
日本二十六聖人 – Wikipedia

秀吉の過度の恐怖心が産んだ悲劇、なのでしょうか。
たいてい、悲劇は人間の恐れの感情から生まれるという気がします。
処刑された二十六人のうち二人は、12歳、13歳の少年だったとか。

迫害を受けるなか教会で祈る信徒たちや、当時キリシタンへの過酷な拷問が行われたという雲仙地獄へ向かう信徒たちの姿を描いた作品などが展示されており。
色彩を抑えた静謐な画面の奥から、秘められた深い悲しみの感情がじわりと全身に浸透してくるようで、震えを覚えました。
《廿六聖人殉教図》という作品、二十六人が十字架にかけられている絵の前からしばし動けず。
もう少し長く観ていたら、泣いてしまっていたかもと思います。

この出来事のあとにも、キリシタン迫害は長く続いたようで、狂気としかいいようがない。
人間はなぜここまで残酷になれるのか。

美術館を出てからもしばらく気持ちが切り替わらず、心ここにあらずな状態で帰途につきました。

長崎は、高校の修学旅行で一度だけ行ったことがあり、とてもいい印象を受けた地。
大浦天主堂が美しく印象的だったのですが、当時こういう悲劇の歴史については認識していなかったな。

当時、祖母へのお土産に買った大浦天主堂のテレホンカードが、今もうちに飾ってあります。
亡き祖母の思い出の品として仏壇に…よく考えたらめちゃくちゃですね。仏壇に教会の写真って…。日本人ってこれだから。←私。溜息。

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