先日、ずっと読まず嫌いだった、サマセット・モームの有名な小説『月と六ペンス』を初めて読みました。
読まず嫌いだった原因は、この小説がゴーギャンをモデルにしたものだと何かで読んだ為。
なぜか、ゴーギャンがあまり好きではない私。
特にゴーギャンという画家に詳しいわけでもなく、絵が嫌いなわけでもなく、どんな人だったのかも全くわからないのだけど、なぜかモヤモヤと苦手意識が湧いてくるという…。(なんだそれ)
何かの本で、ゴッホとの関係について読み、悪い印象を持ってしまったのがきっかけのような気もしますが、定かではない。
それで、気になりつつも避けていたのですが、少し前に、偶然ネット上で 、”『月と六ペンス』のストリックランドは、ゴーギャンとは全く別人格である” と書いていた人がいて、なんとなく読んでみようという気になりました。
結果…、想像していたのとは全く内容も印象も違っていました。
そして、読んでよかった。本当に。
40を過ぎてから、「絵を描くため」という理由で、妻子も仕事も財産もすべてを捨てて家を出た、チャールズ・ストリックランドという人物。
強烈なキャラで、相当に嫌なヤツで、もしかしたら、私が勝手に苦手意識を持っていたゴーギャンのほうがずっと遥かにいい人だったのかもしれない…。
このストリックランドという人間のインパクトがあまりに強過ぎて、読後しばらく、自分の中にストリックランドがでんっと居座って何かをブツブツ囁いているような感じが消えず(笑)。夢にまで登場しました。
これほどに、自分の情熱や衝動に真正面から向き合って、本当に真の意味で、心のままに正直に生きられる人がいるだろうか。
正直に生きるって、これほどに残酷で純粋なものなのか。
今の自分には、100回生まれ変わっても出来ないだろうなあ…。
憎たらしいのに強い憧れをもってしまうような、とんでもなく魅力的な人物でした。
そして、語り手である主人公の、あくまで冷静に、適度な距離感を保ちながらも、人間の心の奥を繊細な感性で観察しようとする目。
周囲の意見や偏見に惑わされない芯の強さが心地いい。
その繊細さと芯の強さはストリックランドにもあるのだけど、ストリックランドはもっと鋭く人を刺すような目で、気に入らない人物にはとにかく容赦がない。
対称的に、主人公は、どんな人からも何かしら優れた個性を見出して尊重するような優しさが感じられ。
淡々と人と接しながらも、いつのまにか巻き込まれていて、さり気なく手助けしていたりする。
ああ、この人は(=作者のサマセット・モームは)きっと根本的なところで人間が好きなのだろうなあと。
この小説を主人公の目線で読んでいるうちに、人間の醜いところも、愚かさもエゴも全部含めて、なんだか「人間」という存在そのものが愛おしく感じられるような気がしました。
人間って奥が深い。興味深い。
この小説をきっかけに、サマセット・モームの他の作品も読んでみたくなりました。