「生きてよかった」と思えたら

クリス・ハート「いのちの理由」~私が生まれてきた理由ksnovel-labo.com

いい曲だ〜。こちらのブログで初めて知りました。

動画が素晴らしくて、涙。(北島康介らしき人がいたのは気のせい?)

引用されている歌詞の続きも、心に沁みました。涙腺が緩みっぱなし。

私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを傷つけて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに傷ついて

私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを救うため

夜が来て 闇自ずから染みるよう
朝が来て 光自ずから照らすよう
しあわせになるために
誰もが生きているんだよ
悲しみの海の向こうから
喜びが満ちて来るように

私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたを護るため

誰の作詞かなと調べたら、さだまさし氏の曲なんですね。
そちらも聴いてみたい。全く違う味わいがありそう。

誰かを傷つけ、誰かに傷つくことも「生まれてきた訳」。その経験を経て、人の傷が見えるようになって、優しくなって、そうして「何処かの誰かを救うため」へつながっていくのかな。
偶然はひとつもないのなら、人生で出会う全てが生まれてきた理由なのかな。

しあわせになるために誰もが生きているんだよ

そう願いつつ、何が自分にとっての「しあわせ」なのか、歳を重ねるほどよくわからなくなっています。
若い頃に思っていたしあわせは、周りの影響を受けて、思い込んでいただけのような気もするし、手を伸ばしても届かなくなってしまったしあわせもある。

私が生まれてきた訳は 何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は 何処かの誰かを救うため

「救われる」側ばかりだった気がする自分。人を「救う」なんて余裕もなかった。
そういう自分でも、もしも一瞬でも、ささやかにでも、どこかの誰かの支えになれたなら。そんな人間に、なれたらいいのですが…なれるのか?うーん。

今は、曖昧な「しあわせ」を追うよりも、目の前の平凡でささやかな日常を丁寧に。なかなか難しいときもありますが。いえ、しょっちゅうか。

しあわせの定義はよくわからないけど、誰にどう思われようと、最期のときに自分自身が「それでも、生きてよかった。」と思いたい。

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