お家時間に、目に入った本を適当に手に取り、数ページだけパラパラと読んでみることがあります。
じっくり一冊と向き合う時間がないときや、そういう気分ではないときなどに。
一昨日の夜から昨日の朝にかけて、そんなふうに偶然手に取って読んだ本や、ブログの記事の、言葉がリレーのようにつながっていって、とても不思議な気持ちになりました。
内容も何も意識せず(または知らず)、ランダムに選んだ別の方たちの文章が、似た意味合いのことを語ってくる…不思議な偶然の一致にちょっと感動してしまい、以下に引用してみました。(たくさん引用してしまいました。)
20日 深夜
メイ・サートン『独り居の日記』
(p10)
”インスタントの成功が今日では当たり前だ。「今すぐほしい!」と。機械のもたらした腐敗の一部。確かに機械は自然のリズムを無視してものごとを迅速にやってのける。車がすぐ動かなかったというだけで私たちは腹を立てる。だから、料理とか、編み物とか、庭づくりとか、時間を短縮できないものが、特別な値打ちをもってくる。”
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20日 朝
志村ふくみ、志村洋子、志村昌司『夢もまた青し』
(p12)
” 今の世の中は、生産性と効率化を求める資本主義で覆いつくされています。その中にあって、私たちのような自然とともにある手仕事は、まさに息絶えんばかりの状況にあります。この大きな潮流を押し止める術は、もはや残されていないのかもしれないと、途方に暮れることもしばしばです。
しかしたとえ負けるとわかっていても、肝心なのは負け方だと私は思っています。少しでも、染織という日本が古来から受け継いできた尊い仕事を残したい。”
(p18)
”めくるめく豊かな色彩の世界があったからこそ、はかない色、色なき色という究極の美の世界に到達するのです。
白のままでは生きられない―。
まっ白な糸、布にほんの少しでも手が触れれば、それらは汚れてしまいます。無垢のものをそのまま手の内にとどめることはできません。物を創るということは汚すことであり、人間はそうしなければ生きてはゆけないと堂々と語ってきました。
今の私が強く魅かれるのは、かつて二、三反織ったことのある天蚕の仕事です。野生の山繭が吐き出す淡い緑の糸は煙のようにふるえ、まぶしいほどの輝きを放ちます。その光の糸で、人間が着る衣ではなく、天への捧げものをつくりたい。汚れなきものでありたいのです。天蚕の仕事は、これまで数多の植物から色を染め、織り成してきた私が最後に夢見る色なき色の世界なのです。”
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20日 お昼頃
吉野圭さんブログ『我傍的、ここだけの話』の記事
― 「梅雨の散歩道で見つけた、白い紫陽花。花言葉は「寛容」」より
”紫陽花には初めから色素が無い株があるとか。
そのような紫陽花は、土壌の影響を受けず色に染まらず白い花を咲かせる。
“生まれつきの中道”というわけですね。
花なのに何故だか共鳴しました。
良く言えば「何物にも染まらない。我が道を行く」。
悪く言えば「空気を読まない。同調しない」、とか。笑
そんな白い紫陽花の花言葉は【寛容】とのことで意外でした。
白には潔癖なイメージがあります。他者の影響を受けない独自路線が「寛容」とは、人間社会では首を傾げられるでしょう。一般には染まることが「寛容さ」と思われている。
しかし二極どちらかに偏らず、付和雷同せずに離れて眺めるスタンスは、最終的に全てを公平・自由へと導くかもしれません。それが本当の多様性、寛容となり得るのは確か。”
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20日 お昼過ぎ
若松英輔『詩を書くってどんなこと?』 Kindle版
(no.228~)
「花を咲かす」という言葉には、その人の秘められた可能性が開花する、という意味があります。
……(略)……
可能性の開花という出来事と、植物としての花が咲くことに私たちが共鳴して感じているものがあるのです。そこには、人間と花に分け隔てなく存在する存在のちからのようなものを感じています。
(no.238~)
「時間」は過ぎ行くものです。そして、時計などで計ることのできるもので、多くの人々によって共有されるものであり、量的なものです。すなわち、長いとか短いとかいう言葉で表現できるものです。
一方、「時」は、計ることができず、個人的なもので、質的なものです。その本当の姿を、多い、少ない、長い、短いというような量的な言葉で表現することはできません。そして、質的なものであるということは、世にただ一つのものだということです。
詩の現場は、時間と時の交わる場所です。現在と過去と、そして未来がつながるところといった方がよいかもしれません。さらにいえば、それは永遠と今が交差するところでもあるのです。
若松英輔氏の言葉が、「開花」から「時(質的なもの)」へ移り、最初のメイ・サートンの言葉「時間を短縮できないものの、特別な値打ち」と重なるようにつながって、ひとつの輪になったような感じがしました。