最近、仕事の関係などで慣れない相手と話をする機会が以前より圧倒的に増えました。
人と接すること自体は決して嫌いじゃないのだけど、自分は女子にしては珍しく?かなり口下手なほうなので、これはわりと試練。
いえ、よい学びの機会かもしれない…。
口下手だと、どうも「自分の考えがない人」と思われがちで、でも決して何も考えていないわけではなく、いや、あまり大したことは考えてないですが(笑)…ただ、思ったことをその場で即言葉にして発するというのが、昔から苦手です。社会人としては情けない話。
なのに、適職診断などをすると、なぜか「接客業に向いています」「コミュニケーションを活かした仕事がよいでしょう」などと出てくる。謎過ぎる。絶対嘘だと思う。
どうやら人と話をしているときは、相手の様子や反応、声のトーンや場の空気などに気がいってしまう、というか勝手にそういう情報がわーっと自分の中に入ってきてしまう感じで、考えに集中できない。…うーん、単におバカなだけかしら。
なので、自分の意見をその場で瞬時にちゃんと話せるような人が心から羨ましい。憧れてしまいます。
自分は、その場の素早い対応を要求される会話よりも、タイムラグの許されるメールやLINEのほうが好きです。
…単に頭の回転がのろいだけとも言えるかもしれない…。
そんな自分の会話ベタは別にしても、そもそも自分が思ったこと、感じたことを言葉でありのままに表現するというのは、なかなか難しいものだなと、切に感じます。
(文章力やボキャブラリーの問題もありますが。)
こうしてブログを書いたりしていても、何か本当に大切なことや、一番言いたいことほど、なかなかうまく言葉にできない、言葉にならないというか。
難しいものだなー。
吉田篤弘氏『雲と鉛筆』の、冒頭部分の文章を読んでいて、ああ、本当にそうだなあと。
部屋の中の刻一刻と変化していく湿度や匂いや窓の外から聞こえてくる音といったものは、ほとんど記されない。当然、言葉になることなく去来した思いもやはり残らない。
残されたものは、いつでもほんのひと握りで、本当は、残らなかったものの方に、自分が書きたかったことがあるように思う。
残らなかった、言葉にならなかった大切な思い。そういうものが、自分の中にもたくさんあって、もどかしい。
きっと誰の中にもそういうものはたくさんあるのだろうな。
伝えたくて、伝えられるべきで、伝えられなかった思いが、世の中には溢れているのだろう、きっと。
目に見えない、耳に届かない思い。
言葉にならない部分は、たぶん言葉にできないからこそ大切で、だけどその大切ななにかを、切実に伝えたいと思う相手がいて、うまく伝えられないことがもどかしくてたまらない。