世の中には悦びの形は何千何万とあるけれども、それはみな、結局のところたった一つ、愛することができるという悦びなのだと。愛することと悦び、この二つは一つ、同じものなのだ。
– ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』より
『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと』(池内紀、小林エリカ、子安美知子ほか/著)という本を読んでいたら出てきた言葉です。
若い頃に読んだ記憶のある『はてしない物語』。
こんな言葉が、あったのだっけ…。覚えていない。
後日、本棚を整理していたら、文庫版の『はてしない物語』が出てきました。
ストーリーもほとんど忘れてしまっていたものの、懐かしくなりパラパラ読んでいるうちに、ハマってしまいました。
上下巻を毎日少しずつ読み進め。
昨夜も、続きを読みかけたところ、ふいにカーテンの隙間から月明かりが入ってきました。
カーテンを開けて空を見ると、月にかかるように真っ直ぐにひこうき雲がのびていました。
何となく珍しい光景に思えたので、スマホで撮影↓
夜にもかかわらず、雲が月に照らされて白くくっきりと見えました。
最初はちょうど月にかかるくらいの位置だったのが、どんどん風に流され、スマホを構えたときにはだいぶ月から離れていました。
(画像がひどすぎてすみません。肉眼で見たときと全然違いますが、一応。)
そして、再び読みかけの『はてしない物語』に戻り、ほんの少し読み進めたところで、ありゃ⁈となりました。
二人の友はまただまったまま並んですわり、幸いの竜がなおもゆるやかに、おだやかな波のうねりそのままに舞っている夜の空を、長い間仰ぎ見ていた。ときどき、竜はまん丸な月の面を、白くたなびく雲のようにかすめて翔んだ。
思わずカーテンを開けて、もう一度窓から空を仰ぎ見る。
…残念ながら雲は、すでに月からかなりはなれ、薄く広がって今にも消えそうになっていましたが、この面白すぎる偶然に、思わず心躍ってしまった。
こんなことが、あるものなのね。
もし順序が逆で、空を見るタイミングのほうが後だったら、ひこうき雲を見た瞬間に、あ、フッフール!と思ったかも☆
いい歳をして童心に返ってしまった夜でした。
(ちなみに、写真だと月はまん丸に見えますが、実際には左が欠けています。満月なら完璧だった(笑))
若い頃に読んだ時は、実はそれほどはまらなかった『はてしない物語』。当時はファンタジーがあまり得意ではなかったので。
この歳になってよくよく読んでみれば、この物語は、なんだかはてしなく奥が深い…。
と、思えたということは、少しは私も成長しているのか?
生きる悦び、自分自身であることの悦び、自分がだれか、自分の世界がどこなのか、バスチアンには、今ふたたびわかった。新たな誕生だった。今は、あるがままの自分でありたいと思った。そう思えるのは、何よりすばらしいことだった。
(本の感想というより、ほぼ雑談ですみません)