ある方のブログにて、西洋占星術について書かれている記事を読み、ふいに興味が湧きました。
自分のことを深く知ることで、生き方の”指針”になってくれるようなものなのかな、と。
だけど、色々調べてみると、これは「学問」ではないですか。めちゃめちゃ難しそうではないですか。
もうちょっと、かしこい頭が欲しかった…涙。
なぜ私はこんなにアホなのか。
…と、落ち込んでいてもしょうがないので、気を取り直して。
とりあえず、「ホロスコープ」というものは、ネット上で無料で簡単に作成できるようなので、私にでもできるようなので、とりあえず作ってみました。
こんな感じ↓
なんか…バランス悪。下の方に偏っていて気持ち悪。…という第一印象。
こういうものかな。
このバランスの悪さについて、以下のサイトの解説を読み、妙に納得してしまいました。
西洋占星術初級講座(4) ホロスコープの第一印象を受け取る – K’s Fortune Labo
感受点に偏りのあるホロスコープについては、円のどこに偏っているかが重要です。
ほう。
・ 左は個人の場、右は対人の場。
・ 下は身近な社会(家庭〜職場)、上は広い社会
なのだそうで。私の場合、左下、「個人の場」「身近な社会」に集中している。
ホロスコープの左半分に感受点が偏る人の場合、個人としての生活を大切にする人だと推測できます。
…(略)…
下半分に偏る人は家庭を大切にし、あまり遠大な夢を追わないと考えられます。
この通りに見ていくと(何か見方が間違っているかもしれないですが)、特に下半分に偏っているのが、すごく自分っぽいなあと思いました。
但し、「家庭を大切にし、あまり夢を追わない」というと聞こえがいいですが、私の場合「家庭 (実家) の諸事情に縛られて、夢を追えない」という感じでしょうか。
決してここで実生活をグチりたいわけではないのですが(汗)、特に30を超えた頃から、なぜか姉妹の中で自分だけ、実家の事情のために身動きが取れない状態が続いています。
決して、意図的に家の事情を押し付けられているのではありません(母には少しそのフシがあるけど…)。
だけど、自分の意志に関わらず(ときに意志に反して)度々、実家の事情や問題に密に関わることになる。なぜかいつも、そういう役回りになってしまう。
なぜなのだろうと、いつもどこかで理不尽に感じてきました。
誰のせいでもない。どこに向けたらいいのか分からない怒りのようなものを、常に抱えている状態な気がします。
その息苦しさが、ホロスコープ上に図になって表れているようで、うわー…と慄いてしまいました。
(見方が合っていればですが)
家のこと(と健康上のこと)が原因で、自由に人生を選択できず諦めたことがいくつかあり。ときどきは泣けてくるようなときもありつつ、そういう運命なのだろうなー、ともう諦めていました。
だけど、そういう「運命」が、ホロスコープに現れているのだとしたら、生まれた時の星に、そう現れているのだとしたら。
それはもう抗いようのないもので、本当に、元々自分に課せられた運命なのだな。
そう思ったら、ふと楽になりました。
抵抗する気持ちが、和らいだというか。
抵抗しても無駄。受け入れるしかないじゃないか…と。
本当に、楽になりました。
きっと、私の場合、そういう状況の中で学ばなければならないことがたくさんあるのだろう。
自由な人生を選択している姉妹に比べ、不公平だなと内心で感じてきたのだけど、おそらく「不公平」ではないんだ。
姉には姉の、妹には妹の、私には私の、今置かれた状況から学ぶべきものがあるから、全て必然なのかもしれない。
ちっとも「不公平」ではなく、それぞれの学びに適した方向へ導かれているだけなのかも、とそんなふうに思いました。
と、そもそもホロスコープについて全然わかっていないため、解釈が違っているかもしれませんが、自分には、そんなふうに思えただけでもよかった。
間違っていても、思い込みだとしても、何か楽になれたのだからまあいいや、と思うことにします(笑)。(適当ですみません)
自分の運命を「受け入れる」ほうへ導いてくれるのが、占いというものだとしたら、なんだかすごいなあと。
奥が深いのだなと、もう少し深く知ってみたい気もしますが、如何せん頭が悪いので諦めモード。
それはともかく。
どんなに逆らっても抗っても「どうにもならないこと」というのが人生には沢山あって、だけどそれを、「諦める」のではなくて「受け入れる」と、こんなにも楽になるのだな。
中には、容易には受け入れられないこともあるけれど、どうしても受け入れ難いこともあるけれど、それでも。
受け止め方ひとつで、こんなにも苦しさから解放されることがあるのだな。
与えられた状況の中で、前を向いて生きられたらいいな、と思います。
今のこの場所、この立場からしか学べないことや見えないことが、きっとあると思うので。
そうは思っても、やっぱり後ろを向いたり、逆らってみたくなるときも、たぶんまだまだ度々あるのだろうな(笑)。