平凡ながら、自分の本心と向き合う

最近、疲れていたなあ…と、仕事を辞めてみてあらためて気づかされました。

ここしばらくの真剣な望みといえば、「ストレスがかからないこと」で、「ちゃんと休みが取れること」で、「ストレス」と「疲れ」に異様に敏感で、疲れを感じることにトラウマでもあるかのように恐怖心を抱いていました。
休まなきゃ、という意識が強迫観念みたいに常にあるというか。

こんなふうになったのは、おそらく2〜3年くらい前からで、それまでは、それなりに人生を楽しみたい気持ちのほうが優勢で、興味のアンテナが色んな方向へ向いていたのですが。

もう最近は、職場のストレスを引きずらず、ささやかな趣味を楽しめたら本望、というふうになっていて。せめてのんびりとコーヒーを味わえたら幸せ、そんなふうになっていて。
だけどそんなささやかな楽しみさえもままならないほど疲労していたという。
肉体的にではなく、精神的に。

おそらく、自分が本当に心からやりたいことに背を向けて、自分の気持ちに嘘をつき続けた結果なのだと思います。

幼少期より家庭内では満たされることのなかった承認欲求を、外に求めて、社会人になってそれが叶うとうれしくて。
それまでにない存在意義を感じられて、だから認められるべくそれなりにがんばってきたのだけど、それで一時的には満たされても、結局本当の意味で救いになることはなかったような気がします。

次々要求されるばかりで終わりがなく、脆くて不確かなもの。自分はそういうものに、必死に縋ろうとしていたのだなと、最近になって気づきました。(遅…)

認められたいという思いばかりで、自分の本当の、心の底からの「願い」や「好き」から目を背けてきた結果。

もっと自分の気持ちを大切にできたら。
そんなに急に変われるものではないけれど(長年染み付いてきた心の癖のようなものがあるので)。
本当にうれしいと思えることに目を向けて、そこに還って、何かを根本的に変えたい衝動があります。
認められることよりも、少しでも誰かの力になれる喜びのほうが、何倍も価値があるはずで。
仕事でそれを叶えられればいいのですが。
新しい職場も、親の半介護等の合間にできる仕事をと、主に勤務条件で選んだものではありますが、それでも、今までとは違う気持ちでのぞみたいです。

そして、願わくば、周りの目など気にならなくなるくらい、何かに夢中になりたい。
誰も褒めてくれなくても、誰もわかってくれなくても、夢中で追いかけてしまうようなものと向き合いたい。
一度きりの人生だし、もう若くないのだし、このままではもったいなすぎるし。
そういうものと出逢うべく、興味があってもしてこなかったようなことを、試してみたいなと思います。
無理はするなと友人から釘をさされているので(笑)、少しずつ。

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