自分の感性で

姪っ子が、おひさまを、だいだいいろで描きました。

そばにいた大人が、「あら、おひさまは赤だよ」と言いました。

姪っこ「いいの。だいだいいろ好きだもん」

大人「赤で描いたほうがいいと思うなー」

姪はぷぅ〜っとむくれて、「いいの!これで!もうやめた!」と色鉛筆を置いてしまいました。

だいだいいろのおひさま、いいよね。ちっとも変じゃない。
好きな色で、好きなように描きたいよね。
おひさまがもしも、ももいろだって、むらさきだって、いいんだよね。
だから描くって楽しいんだよね。

私も、子供のころは自分がいいと思ったら譲らない頑固者だったので、姪の気持ちがとてもよくわかりました。

自分は子供の頃から、絵を描くのも好きな方でしたが、それよりも見るほうが好きでした。

小学生のときは、よく図書館で絵本や挿し絵のある本や漫画を読みふけり(観ふけり?)。
中学にあがり美術部に入ると、描くことそっちのけで資料室に入り浸り、学生の描いた絵、先輩たちが描いた絵、モネ、ゴッホ、東山魁夷…、全部ごっちゃにして、夢中で色々な画集や資料を眺めていました。時間が立つのも忘れて。
今思えば、我ながらかなり変な生徒です。
その頃は、その時間が何より楽しみでしかたありませんでした。

将来に役立つかとか、何かを得たいとか、誰にどう思われるかなんて全く考えていない。ただ好きだから、わくわくするから、他に理由はありませんでした。

お気楽な私は、その後も芸術学や美術史を学ぶ道を選んだのですが…。

「学問」として絵に接するうちに、わくわくや「好き」という気持ちは徐々に薄れていきました。

歴史、年代、分類、作者名の暗記、言葉による解釈、理論、etc.…

下手をすると、作品そのものはほとんど観てもいない。それよりも、他人の解釈やデータに翻弄される日々。

この絵から、何かを読み取らなければ。
この絵は、歴史的に何を意味しているのだっけ。どこがどのように優れているのか。この絵は自分に何をもたらしてくれるのだろう…?

絵を前にして、妙なプレッシャーを感じるようになり、頭で考えることしかできなくなっていました。

楽しめない。

楽しくない。

私って本当に絵が好きだったんだっけ?
そんな疑問が湧くほどになっていきました。

芸術の鑑賞に、正解なんて必要なんだろうか。
芸術に限らず、音楽も、本も、映画も、理論立てて考えなければいけないだろうか。
何かを読み取らなければいけないのだろうか。

世間で「優れた作品」と言われても、ちっとも好きじゃないもの、全く良さがわからないものが、あってはいけないだろうか。

売れない画家が描いた、売れない絵画には価値がないのだろうか。

ただ、「世間的に知られていない」というだけで、それは価値がなくなるものだろうか…。

そんな疑問があとからあとから湧いて、だけど、先生にも周りの友人にも言えなくて、もどかしい思いでいたのを覚えています。

その後は、一般企業に就職することになり、しばらく美術からも離れていました。

ある日久しぶりに、好きだったモネの展覧会に行った時のこと。
すっかり肩の力が抜けていたせいか、子供の頃に近い感覚で、ただ純粋に「あ、いいなあ〜」「やっぱり好きだなあ」としみじみ感じられて、それがとてもうれしかったのを鮮明に覚えています。
大人になるにつれ、すっかり凝り固まってしまった感性を、絵が、もう一度柔らかく解きほぐしてくれるような感じがしました。
それ以来、また時々美術館に足を運ぶようになりました。

最近は、ビジネス本、自己啓発本のコーナーに、「一流の人」「成功者」と「美術鑑賞」を結びつけるような見出しの本をよく見かけますが、その度、学生時代に感じたのと同じ違和感を感じます。(読んでいないので内容はわかりませんが)

絵は、「自分に役立てるために使うもの」ではないはずで。「今すぐに自分を成長させてくれるもの」でもないと思います。

では何のために人は芸術を鑑賞したりするのだろう…。
明確な答えはわかりませんが、答えなんて必要ない気もします。

ときに、描いた人の情熱とか感情が伝わってきて、圧倒されたり、感動したり、切なくなったり、様々な感情が湧く。ただただ、目の前の優しい色彩に癒やされたりする。
そういう、絵を前にしたときの、瞬間の生々しい感情体験が大切で。

何を感じるかは、個人の自由。
何も感じなくても、それも自由。
それは、体験した自分だけのものです。
その自分だけの体験が、何より大切なのだと思います。

正解なんてなくて、10人いたら10通りの感想があっていい。そうあるのが自然。

歴史とか、作者名とか、年代とか、その作品の背景にあるものを知ることは、確かにより深く豊かに味わうことにつながるけれど、でも知識の量によって優劣をつけることには激しく違和感を感じてしまう。

知識の有無でなく、誰かの受け売りでもなく、自分自身が感じた生の体験を、皆がお互いに素直に堂々と表現できたら。
自分とは違う感性を尊重し合えたら。
そういう環境を、そういう感性を育むことができたら。

子どもたちには、願わくばそんな環境で伸び伸びと成長してほしい。
「これ、いいなあ〜」「好きだなあ〜」そう感じている自分の感覚を、素直に表現できるようであってほしい。

自分の中に自然に生まれた「いいなあ」を、否定せずにありのまま受け入れられたとき、私は幸せを感じます。
そうやって、自分の素直な感性を大切にしていくことが、きっと自分を大切にするということで。

私は小心者なのか、人から思いがけず評価をいただいたりすると、とても嬉しい反面、瞬間、それがいつか失われる可能性を思って不安になったりもします。

だけど、自分の中に生まれた「いいなあ」を自分で認められた瞬間には、心からの安心感が生まれる。
それはおそらく、自分で選び、育み、守っていけるものだから。
一瞬先には批判に変わるかもしれない、それを自分ではどうしようもできない、という心許なさはない。

いえ、それでもやっぱり、時折誰かから褒められたり、評価してもらえたりしたときは、嬉しくて、救われたような報われたような気持ちにもなって、やっぱりめちゃくちゃ幸せを感じてしまうのですが…。それが人間なのかなあ。

何を言いたいのかわからなくなってきましたがσ(^_^;)

子供の頃のように、自分の「好き」に正直でいたい。
もしもそれが、たとえ10人中9人に、いえ10人全員に理解されないとしても、それでも自分の感性を、正しいかどうかなんて関係なく愛してあげたい。

だから人の「好き」も、それがたとえどんなに自分には風変わりに思えても、理解に苦しんだとしても、その人の思いを尊重したい。そういう風でありたい。

人間って本来、本当に多様で、ひとりひとり、違うものだから。

そんなことを取り留めもなく思った日でした。
長々と失礼しました。

自分の感性で” への4件のフィードバック

    1. ありがとうございますm(_ _)m
      違う考えの方も沢山いると思うので、難しいことでもありますが、今の私の理想です。

      いいね: 1人

  1. 妹が幼稚園に入る前、太陽をたくさん書いた絵をかきました。
    太陽は1つだよ!とみんなが言うと、「違う、たくさんあるんだ!」と言って泣いてました。
    その後、天気予報を見たからかなあ?という話をしてましたが、大きくなってから彼女に聞いても、よく分からないと言ってました。
    彼女にはそう見えたのかもしれないです。
    大人になると、理屈で考えて行動してしまいます。感性、重要ですよね。
    私も、絵が好きでよく美術館とか行きますが、そこまで絵に詳しくありません。
    だから、「好き」「嫌い」という単純な感覚で見てます。
    でも、芸術って、それでいいんじゃないかって思ってます(*^^)v

    いいね: 1人

    1. コメントをありがとうございます(*^^*)
      妹さんのお話とても興味深かったです。
      子どもの柔らかな感性に、大人の「常識」は当てはめられないのですよね。
      理屈などなくて、説明できるようなものでもなくて。
      そういう、自由で瑞々しい感性を失ってほしくないなあと、幼い子たちを見ているといつも思います。

      芸術は、「好き」「嫌い」でいいと思っています^^
      難しく考えず、構えずに。
      素直な感覚を大切にすることが、きっと自分だけのかけがえのない体験になると思います。

      いいね: 1人

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