日記について

阿久津隆氏の『読書の日記』を読んだりしていると、やっぱり影響を受けて日記を書きたくなるのですが、平凡そのものの生活を送っている自分が、公開する気もない日記を書く意味ってなんだろう?日記ってそもそもなんだ??なんのために書くのだろう???と考えていたときに出会った本、表三郎氏『日記の魔力』によると、

“人生は大海原を渡る大航海”であり、海の上で瞬く間に波にかき消されてしまう自分の航跡を残す作業が 、日記を書くということ”

なのだそうで。

自分の人生に当てはめれば、「大航海」なんてとんでもなくて、せいぜい手漕ぎの舟で自力で必死に漕ぎながら、横向き後ろ向き、時々変な方向へ行きかけながら、危なっかしく海を渡るイメージしか湧かないのですが、そんな頼りない舟旅でも、風に流されたり、波にさらわれたりしたときに軌道修正するための目印を、記していくのが日記なのかなあと。

何を書こう、何も考えずに浮かんだことを書いていけばいいのかななどと色々悩み、とりあえず、「好き」と感じられたものについては丁寧に書きたいと思い、ただいま実践中。

自分の「好き」を大切にすると、少し自分が強くなる気がする、というのを最近とても感じています。

なんとなく好きかもじゃなく、もう少し意識的な、ちゃんと見て、ちゃんと感じて、ちゃんと自分の中にしまうような、私ってこれが好きなんだな、とひとつひとつちゃんと自覚するような、そういう「好き」。

特に最近、歳のせいかいろんなことへの関心が薄れてきている気がする自分は、それが出来ていなかった、というのは結構大事な発見でした。

生きている実感のようなものを持てるとすれば、それは何をしたかではなく、どれだけ真剣に深く感情を感じられたかによる気がします。(いい感情ばかりでなく、「悲しい「淋しい」「切ない」「悔しい」でも。)

だけど、慌ただしく過ぎていく毎日のなかでは、そういう感情すら、「いいな」と感じたことすら驚くほど簡単に忘れていってしまう。それがすごく怖いことだなと思い。ひとつひとつ、ちゃんと意識して感じる、それを見失わないように何かにストックする、ということが今の自分にはとても大切なことのように思います。

人の受け売りでなく、誰かに伝えるためでもなく、世間の価値観でもなく。ただただ本当に本心から「好き」と感じられたもの。そういうものを書き留めるようになってから、今までは「嫌なことの合間にときどきいいこともある」だったのが、「嫌なこともあるけど、好きなことはいつでもここにある」という風になっています。

落ち込んでいるときなどに、そういう「好き」は心の避難所みたいになって、どんなに辛くても、ここに戻ってこられるという思いと、その「好き」はどこへもいかずにいつもそこにいてくれるという安心感になる。

丁寧に、ゆっくりと、大切に、ひとつひとつ。そういう生活を忘れないために、自分なりの自分のための日記を、しばらく続けてみようと思います。

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