かなり硬めな話題。
少し前にも記事に書いた、大和和紀の漫画『菩提樹』に、こんなセリフが出てきます。
知のないところに愛はない。
人が人をにくむのは、その相手を知らないからだ。
人を知ればにくむことはできなくなる。
若い頃にこの漫画を読んだときは、頭で意味はわかっていても、全くピンときていなかった。
少なくとも、自分の実生活に当てはめるようなことはしなかったです。
今になって、あらためて読んでみると、なんだか深く考えさせられてしまう。
「知ること」。
相手を知ること。ありのまま知ること。
そして相手に何らかの反応をしている自分を知ること。
その両方があってはじめて、生まれるもの。
ありのまま見つめる目、そして深い理解。
知というのは、そういうもののことなのか。
この言葉を聞いた主人公は。
愛は知るところからはじまる……。
それなら、知れば……にくしみは消えるのだろうか
主人公は、幼い頃に両親を交通事故で亡くしていて、衝突した対向車を運転していた相手へずっとにくしみを抱いているという事情があり。
物語の中で、この「知」と「愛」というテーマは最後まで重要な意味を持ちます。
あらためて、なんて素晴らしい作品。
こういう作品に触れて……なんというか、自分ももっと賢くあれたらなあ、とため息混じりに思う。
エゴに絡め取られない賢明さ、相手をありのままに見ることのできる透明な心がほしい。
そして、ありのままの相手を、深く理解できる聡明さがほしい。
ちょっと自己嫌悪に陥りつつ、切実にそんなことを思う。
「知ること」。
「知ること」には色んな意味がある。
日常の至るところに、「知」の種はある気がする。
未来に誰かを許したり、受け入れたり、愛したりするための、「知」の種。
今経験している全てが、もしかするとそこへつながっているのかもしれないな。
漫然と生きていたら、見逃してしまうかもしれないけど、できるだけその種に気づいて、拾って、心の中に撒いておきたい。
そんなことを、なんだか真面目に考えてしまいました。