思い出の桜が

近所の桜の木が、真ん中あたりから折れてしまっているのを目にして、呆然としました。

樹齢はわかりませんが、親が結婚してこの近所に越して来たときには、すでに立派な姿でそこにあったそうで。もの心ついた時から、当たり前のようにずっと見てきた木でした。

私が社会人になって間もない頃までは、他の若木に比べて、それは見事に華やかに、誇らしげに花を咲かせていました。

最近は、上の方の枝が、柳のように枝垂れて、花もまばら。衰えていっているのがひと目でわかる様子でしたが、下の方はまだまだ元気にたくさんの花を咲かせていました。

今年もきれいな花を見せてくれていたのですが…。

昨日の帰りには、まだ無事な姿だったので、その後に台風の風で折れてしまったようです。
見つけたときは、本当に呆然とし、泣きそうになってしまった。
こんな最期は思いもしなかったなあ。こんな形でさよならするとは…。

折れてしまった先端を見ていると、「二度と元には戻らないもの」という、シビアな現実を、あらためて強く感じさせられる思いでした。

割と大きめの道路沿いに立っていて、人目が絶えない場所であることと、当たり前にいつでもずっとそこにあるものと思っていた為、写真も残しておらず。こんなことなら一枚でも残しておけばよかった。

時とともに、少しずつ、周りに新しい建物が増え、道路も整備され、傍らにバス停が立ち、だけどその桜が立っている一角だけは、守護されるようにずっとそのまま残されていました。

螺旋を描くように捻れ、ごつごつした幹は、なんというか、仙人のような存在感というか。
おそらく、昔地面がまだアスファルトではなかった頃の、土や草の匂いを連想させるような、そこだけ時間が止まったような雰囲気を醸し出してくれていました。

哀しいな。

そこから数十メートル歩いたところで見た雲が、偶然にも、心なしか木のように見えたので、思わず撮影↓


木…に、見えないでしょうか。
その桜の木とはだいぶ形が違いますが。

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