最近、大したことではないのですが、「偶然の一致」と思われることが続いています。
例えば、
一昨日、書店で本を数冊パラパラ立ち読みしていたら、そのうち3冊に、立て続けに「ヴィクトリア朝」というワードが出てきたこと。
どれも、一見「ヴィクトリア朝」なんてものとは何の関係もなさそうで、新刊でもなく、全然別のカテゴリーの場所にあってたまたま気になって手にとった本。しかも数ページを流し読みしただけ。一冊は小説でした。
「ヴィクトリア朝」なんてものに、人生で一度も興味をもったことがないし、今も興味なし。
あまりに普段の自分から遠いワードだと、余計に不思議です。
この日はもう一つ。
同書店で『そんなとき隣に詩がいます』(谷川俊太郎+鴻上尚史)という本を購入。(ちなみに「ヴィクトリア朝」というワードを発見した本ではありません)
先程読み始めたら、「はじめに」でダイアナ妃について触れられていて、ダイアナ妃が亡くなったのが、1997年8月31日と書かれていたのでギョッとしました。この本を購入したのは一昨日、8月31日。
(ちなみに、発行日は2018年9月5日と未来の日付だったので、この日初めて書店に置かれた可能性もあるのかな?)
そういえば、ダイアナ妃つながりで思い出したのですが、この日の朝、めったに読まない新聞のコラム欄をたまたま読み、そこでもダイアナ妃について書かれていました。(おそらく命日だったからだと思われます。)
私は、イギリスの王妃ではなく、人々の「心の王妃になりたい」
という彼女の言葉が紹介されていて、印象に残っています。
と、今この記事を書いていて気がついたのですが、「ヴィクトリア朝」って、名前からしてイギリス?(世界史苦手)
気になりだしたのでネットで検索してみました。
ヴィクトリア女王がイギリスを統治していた1837年から1901年の期間を指す。
だそう。
ダイアナ妃とイギリスつながり…と知ったところでどうということもないのですが。
深夜に何を調べているんだ私は。
あとは、「未来」というワードについて。
少し前ですが、あるブログで『未来世療法』という本を目にした数日後、姪と映画『未来のミライ』を観に行くことになり、先日の24時間TVのドラマでも、「愛されている自分は、未来の自分の姿です。」という言葉に遭遇し、昨日はスーパーで、背中に「自分を変えて、未来を変えろ!」とでっかくプリントされたTシャツを来た人が目に入ったこと(笑)。
そういえば、2度記事にした、ゾロ目も「偶然の一致」か。
他にもあったと思ったのですが、記事を書いているうちに忘れてしまったσ(^_^;)
こういう偶然があんまり続くと、ちょっと妙な気持ちになります。どれも偶然と言ってしまえばそれまでな気もしますが。
スピリチュアル的に「何かのメッセージ」だとしたら、私に送っている時点でどうかと思ってしまう。せっかくのそのメッセージを、全く活かせない気がして。なんだか申し訳ない。(←誰に?)