「来世」への橋渡し

以前にもリンクを貼らせていただいたこちらの記事を読んでから、輪廻転生にまつわることがずっと頭から離れずにいます。

輪廻転生が本当にあると仮定して…

「今生の役目をしっかり生きれば、いつかの生で夢を叶えることができるかもしれない。」

これが真実だとしたら、パッとしない今の自分の人生にも、生きる意味はあるような気がしてきます。

たとえ「今世」では夢が叶いそうもなくても、この人生を捨ててしまわなくていいし、笑って生きていいんだと、救われる思いがします。

歳を重ねる毎に、何をしていても、「こんなことをしていていいんだろうか」「これは本当にやるべきことなんだろうか」と、落ち着かず、心から楽しめなくなりました。

いつ頃から、そんなふうになってしまったのか。

おそらく、ぼんやりと人生のタイムリミットを感じ始めたころから。

それまでの間に、本当にすべきことをしなければ。だけど、それが何なのか分からず焦り、時間を無駄にしてはいないか、やるべきことを間違えてはいないかと恐れ。

それで結局何も手につかず、逆にどれだけの時間を無為に過ごしてきたのだろう。

「やるべきことをできていない」思いが罪悪感になり、いつのまにか、若い頃は自然に感じていたような「楽しいな」「綺麗だな」「気持ちいいな」「うれしいな」と素直に感じる気持ちまで無意識に禁じて、蓋をしてきたような気がします。

いったいどんなだいそれたことを自分に求めていたのかな。

この人生が、来世、来来世へつながるのだと思えば、今がどんなに願いから遠く隔たっているように感じても、それでも今を大切に思えるし、希望を失わずにいられる気がします。

たとえ、この人生では小さな小さな成長しかできなかったとしても、それでもそれは、おそらく次の人生へつながる、なくてはならない貴重な一歩。大事にしなければ。

「来世」に先延ばしして怠けていいとは思いませんが、この人生で全てを叶えなきゃと欲張る必要もないし、叶えられない自分に失望する必要もないのだと。

そう思い始めてから、以前よりも「今」を自然に楽しめるようになってきました。

そのときしたいと思ったことを、思いっきり愉しめばいい。子供の頃のように。

肩の力を抜いて、意味なんて考えず、回り道も愉しめばいい。

「やるべきこと」があるとすれば、そうやって自分の気持ちに正直に生きているうちに、自然に導かれるものなのかもしれない。

もしかしたら、自分で意識しないうちに「役割」を果たしていることだってあるかもしれない。

願わくば、未来の自分を裏切らないように、未来世の自分の糧になるように、今の一歩を大切に歩みたいです。

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