犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日 (文春文庫)
作者: 柳田邦男
出版社/メーカー: 文藝春秋
発売日: 1999/06/01
この本を、『物語の役割』(小川洋子/著)の中で知りました。
ぼくは行きの電車で 、孤独な自分を励ますかのように、「樹木」が人為的な創造物の間から「まだいるからね」と声を発するかのように、その緑の光を世界に向け発しているのを感じた。
柳田邦男『犠牲(サクリファイス)』より
引用されていたこの文章がとても印象に残り、読んでみたいと思ったのがきっかけでした。
何度も涙しつつ、時間も忘れて最後まで読みました。
全編を通して、人の真剣で温かな、とても繊細な眼差しに感銘を受けました。このように聡明に誠実に生きている人たちがいる。
今までの人生の中で、感じることのできなかったもの。見出すことのできなかったもの。自分には未知に近い、人の心の温もりが、そこに綴られているように感じました。
柳田氏の次男洋二郎くんは、感受性が人一倍鋭く、繊細で純粋で心優しい、人としてかけがえのない資質を備えているような人で、だけどそれこそが周りから疎まれてしまう。
優しさが否定され、思いやりを嘲笑され、そういう理解し難い世の中の在り方に、傷つき心を病んでいく過程に、本当に心が痛みます。
世の中と上手く折り合いをつけることができず、だけどどうにかして、社会とつながっていようと懸命に自分を励まし、いつか苦悩から解放される日を信じて闘い続ける姿に何度も涙しました。
傷つき続けた彼は、自分を「誰の役にも立てず 、誰からも必要とされない 」と思うようになり、心を病んでいくのですが、友人たちが語る洋二郎くんとのエピソードからは、本当に純粋な優しさを持っていて、人の心の深いところを汲み取りそっと支えることのできるような、そんな人となりが感じられ、愛されていたことがうかがえます。
彼を笑い、否定し傷つけた人たちこそ、本質を見る感性も持ち合わせていない、恥ずべき人たちだったはず。本当の意味で病んでいるのは彼らの方だと感じます。
息子の自死という辛い現実に、誠実に向き合っていこうとする柳田氏や、お兄さんの姿にも、何度も涙が出ました。
人は悲しみの海のなかから真実の生を掬い取るのだ
という柳田氏の言葉がとても印象的です。
医師や看護師、移植コーディネーターなど、関わった人たち一人ひとりの誠実、思いやり、人を見る眼差しの温かさ。
そういうものに感銘を受け、自分は「人」について知らなさ過ぎると、あらためて気付かされました。
「人」に絶望しなくてもいい。
「世の中」に絶望しなくてもいい。
ちゃんと目を開けて見なさいと、そう言われている気がしました。
眼差しの欠如に、不満や怒りをぶつけているだけではダメ。いくら現状の身近な世界が、醜いもので溢れていてるように思えても、恨みや怒りで心を満たしてしまってはダメなんだ。
まだ知らないことばかりです。
求めるばかりでなく、待つばかりでなく、自ら、目を開けて見出していかなければ。
そう教えられている気がしました。
洋二郎くんの腎臓は、おそらく二人の人を救い、柳田氏やご長男の言葉が、一人の医師に骨髄バンクドナーになる決意をさせ。
洋二郎くんが生きた証は、父親によってこの本の中に刻まれ、多くの人の心の中に生きる存在となり。生前に彼が味わった苦悩こそが、多くの人たちを励まして勇気づけている。
何ひとつ無駄はなくて、ひとつひとつの命全てが、一人ひとりのの悩みや苦しみ、思いやりや優しさ、ひとつの選択や行動が全て関わりあって、つながっていて、未来が出来ていくのだなあと。
真実に歩んだ人生に敗北はありません。
打ち倒されて低くなればなるほど、見えない神の生命は確かに注ぎ込まれるのです。
私も (敗北というなら、もっとそれを重ねて来た )そういうふうに生かされて残る生涯を生きたいと思っています。
(洋二郎くんが亡くなった後、柳田氏が知り合いの人物から受け取った手紙より)
「誰の役にも立てず 、誰からも必要とされない 」人など、おそらくはひとりもいないのだと、そう強く信じたい。
他にも心に残る言葉が沢山あり、感じたことも沢山あり、それを上手く言葉に出来ないのがもどかしいです。
洋二郎くんが好んだという、ガブリエル ・ガルシア =マルケスの 『百年の孤独 』や、映画 『サクリファイス 』などにも機会があれば触れてみたいなと思います。