「SONGS」宇多田ヒカル

先ほど外に出たら、月がめちゃめちゃきれいでした。

満月の二日後の月を立待月(たちまちづき)というらしいですが、まだまだまん丸。
煌々と輝く月と真夜中の静寂がなんとも心地よくて、しばらく眺めていたら、わんこがハウスから出てきて「星守る犬」ならぬ「月守る犬」になっていた。

それはさておき、今日(もう昨日か)の「SONGS」の話。ゲストは宇多田ヒカルさん。

すごく、すごく見応え聴き応えのある内容で、録画しておけばよかったーと後悔。

この人の対談は、いつも一言も漏らさぬように息を詰めて聴いてしまう。聡明な彼女が語る言葉は、必死にその意味や真意を探るように聴かないと、私などは迷子になってしまうので。

今回の対談相手は又吉直樹氏。
前回の糸井重里氏など成熟した大人のおじ様達でも、緊張感をもってじっと彼女の言葉に聴き入っている様子が伝わってきました。

すごく純粋でありながら、なんというか、圧倒的に成熟した魂の持ち主。
若い頃から、どことなく影のある雰囲気を醸し出している(ように見える)のは、それ故の孤独があったりするのでしょうか。
インタビューを受けていたどなたかも、彼女の詩について「孤独」という表現をしていた。

「花束を君に」

毎日の人知れぬ苦労や淋しみも無く
ただ楽しいことばかりだったら
愛なんて知らずに済んだのにな

という歌詞について、又吉氏が熱く語っていました。
こういう歌詞を、彼女の心に沁み入るような歌声で歌われると、グッときてしまいます。

彼女の歌を聴いていて、ふと思いました。
「大切なものの喪失」という体験は、当人にとって辛く悲しいばかりのもののようですが、実は、死にゆく者からの、かけがえのないギフトではないかと。

この世での最後の究極のギフト。

死をもってしか、伝えられないこと。

喪失の哀しみが深ければ深いほど、皮肉ですが人の魂は磨かれていく気がして。
当人は、とてもそんなふうには思えないかもしれないけれど。

母親を亡くされた後の彼女の歌があまりにも美しいので。
感性が研ぎ澄まされているのを感じます。

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